カテゴリー「平和構築・国際平和協力」の記事

平和コミュニケーションの挑戦

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ケンカの当事者が口論や殴り合いを始めてから第三者が
仲介して止めることは難しい。話し合いで解決しようと
促しても、なかなか手を引っ込めないものだ。

「戦争が始められてから当事者間でコミュニケーション
をとるのは難しい。だからこそ戦争が起こる前に予防す
ることが大切だ」

10月4日、東京外国語大学と早稲田大学主催のシン
ポジウム「Peace Ad - 平和コミュニケーションの挑戦」

に出かけた。(パネリスト:伊勢崎賢治(元アフガニスタ
ン武装解除日本政府特別代表、元国連シエラレオネ
派遣団DDR部長)、伊藤剛(ジェネレーションタイムズ)、
マエキタミヤコ(サステナ代表))

「もっと具体的に、もっと効率よく、戦争を防ぐコミュ
ニケーションは作れないのか」。そんな疑問から生まれ
たのが「ピースアド(Peace Ad)=平和広告」の取り組
みだ。シンポジウムに参加して、「『平和』って何だろ
う?」と改めて考える機会を持った。


「平和」って、日曜の夜になると父がきまってワイシャ
ツにアイロンをかけていた幼い頃の思い出。

「平和」って、子どもの頃、親戚が集まる夜はきまって
祖父が魚屋でマグロのブツ切りを嬉しそうに買ってきた
こと。

「平和」って、郵便配達のバイクが自分の家の前に止ま
り、郵便受けに投げ入れられる手紙が「コトッ」と音を
立てるのを聞くこと。

「平和」って、毎日仕事から帰って、寝る前に熱い湯を
なみなみとはって入浴剤を入れたお風呂に入るひととき。

「平和」って、目覚まし時計が鳴っているのにアラーム
を止めて二度寝する瞬間。

毎日歯を磨くように、同じことが繰り返され、当たり前
で平凡なことが、今日だけでなく明日も明後日も行われ
る。昨日が去り、今日がもうすぐ終わり、明日もまた東
から太陽が昇って西に沈む。

きっとそれが平和の形であり、幸せの形なんだと思う。
でも、「晴天の日に、青の価値を知ってもらうことは難
しい」。そして、「失いたくないものは繰り返される日
常の中にある。例えば、日々のたわいないやり取りとか
」。


今年のノーベル平和賞は、フィンランドのアハティサー
リ元大統領に贈られることになった。世界中の地域紛争
で和平の仲介や交渉に当たってきた。

アハティサーリ氏は当事者にどうやって「平和」の価値
を伝えたのか。長年の深い対立と憎悪が入り組む複雑な
状況を解決すべく、交渉では当事者の聞き役となり、妥
協案を提示する。その交渉の現場では、「言葉」がもっとも
大きく、かつ唯一の武器だったはずだ。

紛争の予防、そして紛争の調停―いずれも「コミュニケ
ーション」が鍵だ。


他参考リンク:
http://www.tufs.ac.jp/common/pg/pcs/gp/event/s3.html

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本能のおもむくままに

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「何があなたのことを突き動かしているの?」
先日、尊敬する新聞記者の方からそんな質問を受けた。

「究極のところ本能なのかもしれない」

平和構築業界(便宜的に「業界」と書いてみます。)に
仕事でドップリと携わるようになってから2年。
結局、好きなものは好き。興味のあるものは興味がある。
きっとシンプルな答えなんだと思う。

面接のたび応募する職種にあわせて何通りもの「解」を
用意する。でも、考えれば考えるほど真の「解」が分か
らなくなる。ひとことで表現するのが難しい。

マリナーズのイチローやヤンキースの松井に「なぜあな
たは野球をやっているの?」と質問したところで、やっ
ぱり「好きだから」とか、本能の赴くままに道を歩いて
いったら、結果として今の場所にいると答えるのではな
いだろうか。


きっと今までの34年という年月の中で経験したいくつ
もの「イベント」が、自分の中で幾重にも積み重なって
今の自分を創り上げている。その「イベント」は、決し
て自分が直接的に関わったものばかりではない。

祖父が話してくれた満州での戦争体験談だったり、
小学校の図書館で借りた広島の原爆についての絵本だっ
たり、
中学生のときに、朝のテレビで見かけたベルリンの壁崩
壊の映像だったり、
大学時代に授業で学んだユーゴ紛争だったり、
大学院時代のアジア経済危機のニュースだったりするわ
けだ。

でも、それらの間接的なイベントよりもより強烈に自分に
訴えかけるのは、きっと自らが直接体験したり見たり
する「イベント」なのだと思う。
「百聞は一見にしかず」
頭が飽和状態になって「解」が見つからないときや道に
迷いそうなときは、間接的、直接的、両方の原点に戻る
ことだ。

諸先輩方に比べるとまだまだ浅いフィールド滞在中に自
分が感じたことや肌に触れた「空気」を思い出してみる。
それは、21歳で初めて訪れた途上国、スリランカだっ
たり、将来の進路に悩んでいたときに訪れたコソボだっ
たりする。

でも、何をすればいいのか分からなかった。
そんな分野に関わる仕事があることさえも知らなかった。
大学の同級生の多くが公務員になったり、銀行に勤めた
り、弁護士を目指したりする中、自分だけが取り残され
ている気がした。自分だけどこか違う気がした。

何かやりたいんだけど、頭でっかちで行動が伴わない現
実。まさに、茂木健一郎の本に出てきた「『運動系』の脳
の未発達状態」。

でも、できることから始めるしかなかった。試行錯誤し
て最初につかんだきっかけが「書くこと」「伝えること」
だった。そして一歩進むと気付いたことが、「自分には言
葉がない」ことだった。

今でも話すことや書くことは今でも苦手だ。
でも、少しでも自らコミュニケーションをとらないと物
事は始まらない。
思考を停止させたくない。
目に見えない考えを言葉や文字で表現することの難しさ。
表現できないもどかしさとくやしさ。
でもこのままゼロはイヤだ。

だからこそつたないボキャブラリーで表現してみるしか
ない。ループする頭の中に浮かび上がる言葉ひとつひと
つを拾い上げてみる。結局、単純な頭ではスパッとした
真の「解」は出てこない。仕方がないから今日はこのま
ま終わりにしよう。

「何があなたのことを突き動かしているの?」
そんな問いを投げかけてくださった先輩に感謝しつつ、
今宵もまったりとした夜がふけていく。

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カンボジアでの選挙

ブログアップごぶさたしておりすみません~。


ところで、本日(7月30日)、10日間ほど出かけていたカンボジアから帰国しました。

7月20日、カンボジアでは5年に一度の総選挙が行われ、その選挙監視というお仕事です。
カンボジアでは、内戦を経て和平合意が結ばれ、国連主導の選挙が行われてから早くも15年。

久しぶりに訪れたカンボジアの首都プノンペンは、
もはや紛争終結国ではなくアジアの一都会でした。


街中には40~50階建てのマンションが建設中。
主に韓国資本だと話を伺いました。

地方にいっても、裸足の子どもたちは少なく、皆ビーチサンダルか靴を履いてるし。
プノンペンの道路を走る車もこぎれいで、日本車も目立ちました。


カンボジアで4回目の今回の選挙は、無事、平穏に執り行われました。
5年前(2003年)にも、選挙監視で現地を訪れましたが、
それと比べても選挙関係者の作業効率はずいぶん高まっており、
投開票当日、大きな混乱や問題は見受けられませんでした。


日本でPKO法が成立して、自衛隊をカンボジアに派遣したのが1993年。
15年たった今年、カンボジアがアジアの新興国の一員として発展を遂げている様子を
見ることができたのがとても嬉しかったです。


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四川大地震 ・ ジャーナリストの立ち位置

東京に戻ってきました。
ご心配おかけしました。
たくさんの方からの応援&励ましのメールありがとうございました。
完全復帰。明日からまた元気にがんばります!


というわけで、19日の朝日新聞夕刊記事へのコメント。
池上彰の新聞ななめ読み「中国・四川大地震 写真記者の立ち位置とは」。


今回の四川大地震直後の新聞写真を見て、気になることがあると問題提起。
「取材か、救助か」という永遠のテーマ。
これはジャーナリストとして仕事をする限り、誰もが通らざるを得ない問いだと聞いたことがある。

瓦礫に体の一部が埋まっている人を、一人が必死に引っ張り出そうとしている写真がある。

読者としては「このカメラマンは、こんな写真を撮っていないで、一緒に救出を手伝えばよいのに」。

池上氏によれば、決定的な写真であればあるほど、
「カメラマンも救助を手伝え!」と叫びたくなるような構図の写真を撮影することになる。そんなとき、取材者はどうすればよいのか。

以前、新聞社に勤めていた時、同様の問いについて職場の人と話したことがあった。

そして自分なりに考え出した答えは、
「プロフェッショナルなジャーナリストであれば、その現場では、
取材に徹する」ということ。

ジャーナリストの使命の一つは、世の中に真実を伝えることがあると思う。

ペンやカメラを投げ捨てて瓦礫に埋まっている人を助けることが「人道的に」望ましいことだというのは分かる。


でも、もしそこに仕事で来ていたとしたら、
取材や撮影をやめて、人道支援に向かってしまうことは、
ジャーナリストとしての任務を放棄してしまうことでもある。


取材して文字や映像を通して世の中に伝えることで、
その場を実際に見ていない人の心をも動かすことができる。
次の行動につなげることができる。

それがジャーナリストの「伝える」という仕事の醍醐味の一つなのではないだろうか。

今、自分は国際平和協力という人道支援にも関わる分野に携わっており、
一方で、これまでにジャーナリズムの仕事もかじったことがあるわけで、
実際にそういった究極の現場に立ち会ったとき、
自分は直感的にどちらの人間なのだろうかと疑問に思うことがある。


おそらく、その時に与えられた自分の役割とか任務に忠実に
仕事を遂行するのだろうけど、もしかしたらどこかジレンマを
感じるかもしれない。
それは分からない。


ただ、自分なりに今、答えが出ているのは、
自分が仕事を通して携わる使命に忠実であるのだろうということ。


もしジャーナリストだったら、
報道を優先し人道支援を放棄することで、それが人の命を失うことにつながるかも
しれないとしても・・・。

もし国際平和協力の仕事だったら、
たとえ報道することが中長期的により多くの人の命を救い、現地の平和につながることになるとしても・・・。


おそらく正解はないのかもしれない。

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ネパールで選挙結果確定

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(写真は、カトマンズ郊外バクタプルの集計会場における開票・集計作業の様子)


ネパール制憲議会選挙の結果が確定したようです。


選管のウェブサイトを見ても相変わらず更新は遅いので、
報道機関のウェブサイトを参考に見てみると、

定数601のところ、選挙初参加の共産党毛沢東主義派(マオイスト)が220議席で第一党。
90年代から政権を担ってきたネパール・コングレス党と共産党UMLは、各110と103。

マオイストの他に今回躍進したのが南部の平野部に多いインド系住民らによるマデシ系の政党。
マデシ人権フォーラム(52議席)と、タライマデシ民主党(20議席)。

王制廃止と共和制の移行が今回の選挙の大きな争点でもあったわけですが、
国王派の国民民主党(8議席)と国民民主党ネパール(4議席)の票は伸びず、
これで完全に王制廃止が決まりました。


暫定憲法によると、選挙結果の正式発表から3週間以内に議会を召集するとあるので、
最初の会議は5月2~3週目に行われるのでしょうか。

十年にも及ぶ武装闘争を続けてきたマオイストが政権を担うことになりますが、
個人的にいくつか注目していきたいポイントがあります。

○プラチャンダ書記長によると、連立政権を目指すということですが、
どんな国家像を描いているのか? 

○各政党間の閣僚ポストの配分は?

○大統領と首相の権限の分担は?

○国王の立場はどうなるのか? 退位に応じるか?


過去240年続いてきた王制が選挙という民主的な方法で幕を閉じることになりました。
この新生ネパールの発展が、新しい指導者の下で平和裡に進んでほしいと願ってます。

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ネパールで選挙実施。

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ネパールから帰国しました!
個人的には初ネパール滞在でしたが、文化も食事もとても豊かで人々も親切だし、
とても好きになりました。次はぜひ旅行で行ってみたいです。

日本人旅行客も多く、空港でも街中でもたくさん見かけました。
特に多いのが、おそらく団塊の世代頃かなと思われる年代層の方々。
リュックサックを背負い、トレッキングシューズをはいて、夫婦そろってトレッキングツアーに
参加していると見受けられる方々にたくさんお会いしました。

監視活動途中に出会うと、「おつかれさま。がんばってねーー」と応援の言葉もいただきました。
ありがとうございます。

、、、というわけで、4月10日に行われた制憲議会選挙も、
選挙結果がかなりの割合で判明し、
共産党毛沢東主義(マオイスト)が第一党の座を確実にしました。

今回の選挙ですが、ネパールで過去10年も続いた内戦を終結させた、
当時の主要7政党とマオイストによる包括和平協定に基づくものです。
去年実施される予定でしたが、二度延期され、今回も直前まで実施が危ぶまれていましたが、
10日に予定通り行われました。

議会は、選挙結果の正式発表を経て招集され、
約2年をかけて新しい憲法の制定に取り組む予定です。

選挙は小選挙区制と比例代表制とで行われました。
開票状況は、ネパール選挙管理委員会によると、
20日正午(日本時間)現在で、以下のとおりです。


○小選挙区(240議席)
マオイスト        118
ネパール・コングレス  36
共産党UML       32
マデシ人権フォーラム  28 

全体           234

○比例区(335議席)
マオイスト        約30%
ネパール・コングレス 約21%
共産党UML      約20%


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因みに写真は、投票日の翌々日に撮影。
マオイスト優勢がメディア等で報道されはじめ、
カトマンズ市内の集計会場付近でパレードに向かうマオイストの若者たちの様子です。

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ネパールから帰国しました。

今日ネパールから帰国しました。
長いような短いようなあっという間の約3週間。

どうやら現地に持っていったパソコンがウィルスに感染してしまったようで、
パソコンに保存しておいた写真他が開けないので、写真アップはまた後ほど。


・・というわけで10日にネパール制憲議会選挙の投票日を終えて、
開票・集計作業をしばらく監視した後、無事帰国しました。


最新の報道によると、小選挙区で第一党の勢いだった毛沢東主義派(マオイスト)が、
比例区でも首位の座を確実にしたとのこと。


ネパールにおいても歴史的な転換点に立ち会わせていただき、
とても貴重な機会となりました。


○選挙の模様は、以下の主なテレビニュース画像をご覧ください。

★NHK
○4月10日
http://www3.nhk.or.jp/news/k10013466251000.html#

★TBS
○4月10日
http://news.tbs.co.jp/20080410/newseye/tbs_newseye3825107.html
○4月11日
http://news.tbs.co.jp/20080411/newseye/tbs_newseye3825708.html


★Nepal News(地元国営テレビニュース)での日本選挙監視団関連
○4月13日
http://nnv.nepalnews.com.np/videoplay1.php?id=460
○4月11日
http://nnv.nepalnews.com.np/videoplay1.php?id=446
○4月9日
http://nnv.nepalnews.com.np/videoplay1.php?id=436

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ネパールでの選挙に向けて。

ネパール行きを間近に控え、昨日と今日は終日研修でした。 二日間缶づめ状態でかなり疲れたけど、かなり密度が濃く充実した時間でした。 二度の延期を経て、いよいよ4月10日がネパール制憲議会選挙の投票日。 公正で自由な選挙の実施に向けた取り組みを、しっかりと自分の目と足で確認してきたいと思います。 選挙監視活動は(NGOでの参加も含め)、カンボジア、アフガニスタン、東ティモールに続き、4カ国目の参加。 今の職場では、日本の一員として紛争終結国の国づくりと平和の定着に向けた活動に従事させて頂けるのはとても嬉しいこと。 しかも今回は、参加だけでなく事前の準備や調査等にも関わっており、なかなか得られない貴重な経験と勉強の機会を頂いています。 ぜひ将来の自分自身のキャリア構築にいかしていきたいと思っています。 ・・・ということで、今日はこれからゆっくりお風呂で疲れをとって、出発に向けてパッキングでも始めようと思います。

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国際開発ジャーナル誌掲載

以前取材を受けた記事が掲載され、
編集者の方が掲載誌をお送りくださいました。

これまではむしろ自分が取材したり広報する側でしたが、
自らが取材されるというのは数年ぶりだったので、
なかなか貴重な体験でした。
またとない機会をありがとうございました!

「国際開発ジャーナル」 (2008年3月1日発行)
もしよろしければぜひご覧ください。
http://www.idj.co.jp/books2007/magazine_new

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スピルバーグ監督が北京五輪顧問辞退

風邪もずいぶんよくなり、今日はすっかり夜更かしです。 でも明日はまた6時起き。さっさと寝よう。 今日、BBCと朝日・夕刊で見かけた記事「スピルバーグ監督 北京五輪顧問辞退」に目が留まりました。 辞退の理由はスーダン・ダルフール紛争への中国政府の対応に不満とのこと。 知人が北京五輪の担当記者をしていることから、 去年から、監督の決定がどうなるのか気になっていました。 スポーツの祭典が政治的な問題に影響を受けるというのは昔からよくあることだけど 個人的にあまり望ましいことだと思っていません。 スポーツマンシップというのは政治や宗教を超えた中立的なものだと思うから。 でも、ヒトラー時代のベルリン五輪や1980年代のモスクワ五輪など、 過去には五輪が政治色に包まれた時代も何度かありました。 スーダンといえば、年末に現地から一時帰国した知人(日本人)が、 現地における中国のプレゼンスの大きさを指摘していました。 政府と企業による資源外交が目覚ましそうです。 ・・・と、 おととしから国際平和協力に仕事で携わるようになってから、 紛争国の復興・再建にどっぷりつかる毎日を送るようになりました。 といってもまだまだ勉強不足の身。薄っぺらな自分を反省する毎日です。 早くピーマン状態の頭の中身をつめていきたいです。 この分野で自分が何ができるのか・・・。 まだまだ明確なビジョンは見えてこないけれど、 まずは目の前のことからしっかりと積み重ねていきたいと思っています。 ところで、もう日付が変わり世間はバレンタインデーですね。

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