カテゴリー「平和構築・国際平和協力」の記事

平和コミュニケーションの挑戦

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ケンカの当事者が口論や殴り合いを始めてから第三者が
仲介して止めることは難しい。話し合いで解決しようと
促しても、なかなか手を引っ込めないものだ。

「戦争が始められてから当事者間でコミュニケーション
をとるのは難しい。だからこそ戦争が起こる前に予防す
ることが大切だ」

10月4日、東京外国語大学と早稲田大学主催のシン
ポジウム「Peace Ad - 平和コミュニケーションの挑戦」

に出かけた。(パネリスト:伊勢崎賢治(元アフガニスタ
ン武装解除日本政府特別代表、元国連シエラレオネ
派遣団DDR部長)、伊藤剛(ジェネレーションタイムズ)、
マエキタミヤコ(サステナ代表))

「もっと具体的に、もっと効率よく、戦争を防ぐコミュ
ニケーションは作れないのか」。そんな疑問から生まれ
たのが「ピースアド(Peace Ad)=平和広告」の取り組
みだ。シンポジウムに参加して、「『平和』って何だろ
う?」と改めて考える機会を持った。


「平和」って、日曜の夜になると父がきまってワイシャ
ツにアイロンをかけていた幼い頃の思い出。

「平和」って、子どもの頃、親戚が集まる夜はきまって
祖父が魚屋でマグロのブツ切りを嬉しそうに買ってきた
こと。

「平和」って、郵便配達のバイクが自分の家の前に止ま
り、郵便受けに投げ入れられる手紙が「コトッ」と音を
立てるのを聞くこと。

「平和」って、毎日仕事から帰って、寝る前に熱い湯を
なみなみとはって入浴剤を入れたお風呂に入るひととき。

「平和」って、目覚まし時計が鳴っているのにアラーム
を止めて二度寝する瞬間。

毎日歯を磨くように、同じことが繰り返され、当たり前
で平凡なことが、今日だけでなく明日も明後日も行われ
る。昨日が去り、今日がもうすぐ終わり、明日もまた東
から太陽が昇って西に沈む。

きっとそれが平和の形であり、幸せの形なんだと思う。
でも、「晴天の日に、青の価値を知ってもらうことは難
しい」。そして、「失いたくないものは繰り返される日
常の中にある。例えば、日々のたわいないやり取りとか
」。


今年のノーベル平和賞は、フィンランドのアハティサー
リ元大統領に贈られることになった。世界中の地域紛争
で和平の仲介や交渉に当たってきた。

アハティサーリ氏は当事者にどうやって「平和」の価値
を伝えたのか。長年の深い対立と憎悪が入り組む複雑な
状況を解決すべく、交渉では当事者の聞き役となり、妥
協案を提示する。その交渉の現場では、「言葉」がもっとも
大きく、かつ唯一の武器だったはずだ。

紛争の予防、そして紛争の調停―いずれも「コミュニケ
ーション」が鍵だ。


他参考リンク:
http://www.tufs.ac.jp/common/pg/pcs/gp/event/s3.html

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本能のおもむくままに

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「何があなたのことを突き動かしているの?」
先日、尊敬する新聞記者の方からそんな質問を受けた。

「究極のところ本能なのかもしれない」

平和構築業界(便宜的に「業界」と書いてみます。)に
仕事でドップリと携わるようになってから2年。
結局、好きなものは好き。興味のあるものは興味がある。
きっとシンプルな答えなんだと思う。

面接のたび応募する職種にあわせて何通りもの「解」を
用意する。でも、考えれば考えるほど真の「解」が分か
らなくなる。ひとことで表現するのが難しい。

マリナーズのイチローやヤンキースの松井に「なぜあな
たは野球をやっているの?」と質問したところで、やっ
ぱり「好きだから」とか、本能の赴くままに道を歩いて
いったら、結果として今の場所にいると答えるのではな
いだろうか。


きっと今までの34年という年月の中で経験したいくつ
もの「イベント」が、自分の中で幾重にも積み重なって
今の自分を創り上げている。その「イベント」は、決し
て自分が直接的に関わったものばかりではない。

祖父が話してくれた満州での戦争体験談だったり、
小学校の図書館で借りた広島の原爆についての絵本だっ
たり、
中学生のときに、朝のテレビで見かけたベルリンの壁崩
壊の映像だったり、
大学時代に授業で学んだユーゴ紛争だったり、
大学院時代のアジア経済危機のニュースだったりするわ
けだ。

でも、それらの間接的なイベントよりもより強烈に自分に
訴えかけるのは、きっと自らが直接体験したり見たり
する「イベント」なのだと思う。
「百聞は一見にしかず」
頭が飽和状態になって「解」が見つからないときや道に
迷いそうなときは、間接的、直接的、両方の原点に戻る
ことだ。

諸先輩方に比べるとまだまだ浅いフィールド滞在中に自
分が感じたことや肌に触れた「空気」を思い出してみる。
それは、21歳で初めて訪れた途上国、スリランカだっ
たり、将来の進路に悩んでいたときに訪れたコソボだっ
たりする。

でも、何をすればいいのか分からなかった。
そんな分野に関わる仕事があることさえも知らなかった。
大学の同級生の多くが公務員になったり、銀行に勤めた
り、弁護士を目指したりする中、自分だけが取り残され
ている気がした。自分だけどこか違う気がした。

何かやりたいんだけど、頭でっかちで行動が伴わない現
実。まさに、茂木健一郎の本に出てきた「『運動系』の脳
の未発達状態」。

でも、できることから始めるしかなかった。試行錯誤し
て最初につかんだきっかけが「書くこと」「伝えること」
だった。そして一歩進むと気付いたことが、「自分には言
葉がない」ことだった。

今でも話すことや書くことは今でも苦手だ。
でも、少しでも自らコミュニケーションをとらないと物
事は始まらない。
思考を停止させたくない。
目に見えない考えを言葉や文字で表現することの難しさ。
表現できないもどかしさとくやしさ。
でもこのままゼロはイヤだ。

だからこそつたないボキャブラリーで表現してみるしか
ない。ループする頭の中に浮かび上がる言葉ひとつひと
つを拾い上げてみる。結局、単純な頭ではスパッとした
真の「解」は出てこない。仕方がないから今日はこのま
ま終わりにしよう。

「何があなたのことを突き動かしているの?」
そんな問いを投げかけてくださった先輩に感謝しつつ、
今宵もまったりとした夜がふけていく。

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カンボジアでの選挙

ブログアップごぶさたしておりすみません~。


ところで、本日(7月30日)、10日間ほど出かけていたカンボジアから帰国しました。

7月20日、カンボジアでは5年に一度の総選挙が行われ、その選挙監視というお仕事です。
カンボジアでは、内戦を経て和平合意が結ばれ、国連主導の選挙が行われてから早くも15年。

久しぶりに訪れたカンボジアの首都プノンペンは、
もはや紛争終結国ではなくアジアの一都会でした。


街中には40~50階建てのマンションが建設中。
主に韓国資本だと話を伺いました。

地方にいっても、裸足の子どもたちは少なく、皆ビーチサンダルか靴を履いてるし。
プノンペンの道路を走る車もこぎれいで、日本車も目立ちました。


カンボジアで4回目の今回の選挙は、無事、平穏に執り行われました。
5年前(2003年)にも、選挙監視で現地を訪れましたが、
それと比べても選挙関係者の作業効率はずいぶん高まっており、
投開票当日、大きな混乱や問題は見受けられませんでした。


日本でPKO法が成立して、自衛隊をカンボジアに派遣したのが1993年。
15年たった今年、カンボジアがアジアの新興国の一員として発展を遂げている様子を
見ることができたのがとても嬉しかったです。


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四川大地震 ・ ジャーナリストの立ち位置

東京に戻ってきました。
ご心配おかけしました。
たくさんの方からの応援&励ましのメールありがとうございました。
完全復帰。明日からまた元気にがんばります!


というわけで、19日の朝日新聞夕刊記事へのコメント。
池上彰の新聞ななめ読み「中国・四川大地震 写真記者の立ち位置とは」。


今回の四川大地震直後の新聞写真を見て、気になることがあると問題提起。
「取材か、救助か」という永遠のテーマ。
これはジャーナリストとして仕事をする限り、誰もが通らざるを得ない問いだと聞いたことがある。

瓦礫に体の一部が埋まっている人を、一人が必死に引っ張り出そうとしている写真がある。

読者としては「このカメラマンは、こんな写真を撮っていないで、一緒に救出を手伝えばよいのに」。

池上氏によれば、決定的な写真であればあるほど、
「カメラマンも救助を手伝え!」と叫びたくなるような構図の写真を撮影することになる。そんなとき、取材者はどうすればよいのか。

以前、新聞社に勤めていた時、同様の問いについて職場の人と話したことがあった。

そして自分なりに考え出した答えは、
「プロフェッショナルなジャーナリストであれば、その現場では、
取材に徹する」ということ。

ジャーナリストの使命の一つは、世の中に真実を伝えることがあると思う。

ペンやカメラを投げ捨てて瓦礫に埋まっている人を助けることが「人道的に」望ましいことだというのは分かる。


でも、もしそこに仕事で来ていたとしたら、
取材や撮影をやめて、人道支援に向かってしまうことは、
ジャーナリストとしての任務を放棄してしまうことでもある。


取材して文字や映像を通して世の中に伝えることで、
その場を実際に見ていない人の心をも動かすことができる。
次の行動につなげることができる。

それがジャーナリストの「伝える」という仕事の醍醐味の一つなのではないだろうか。

今、自分は国際平和協力という人道支援にも関わる分野に携わっており、
一方で、これまでにジャーナリズムの仕事もかじったことがあるわけで、
実際にそういった究極の現場に立ち会ったとき、
自分は直感的にどちらの人間なのだろうかと疑問に思うことがある。


おそらく、その時に与えられた自分の役割とか任務に忠実に
仕事を遂行するのだろうけど、もしかしたらどこかジレンマを
感じるかもしれない。
それは分からない。


ただ、自分なりに今、答えが出ているのは、
自分が仕事を通して携わる使命に忠実であるのだろうということ。


もしジャーナリストだったら、
報道を優先し人道支援を放棄することで、それが人の命を失うことにつながるかも
しれないとしても・・・。

もし国際平和協力の仕事だったら、
たとえ報道することが中長期的により多くの人の命を救い、現地の平和につながることになるとしても・・・。


おそらく正解はないのかもしれない。

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ネパールで選挙結果確定

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(写真は、カトマンズ郊外バクタプルの集計会場における開票・集計作業の様子)


ネパール制憲議会選挙の結果が確定したようです。


選管のウェブサイトを見ても相変わらず更新は遅いので、
報道機関のウェブサイトを参考に見てみると、

定数601のところ、選挙初参加の共産党毛沢東主義派(マオイスト)が220議席で第一党。
90年代から政権を担ってきたネパール・コングレス党と共産党UMLは、各110と103。

マオイストの他に今回躍進したのが南部の平野部に多いインド系住民らによるマデシ系の政党。
マデシ人権フォーラム(52議席)と、タライマデシ民主党(20議席)。

王制廃止と共和制の移行が今回の選挙の大きな争点でもあったわけですが、
国王派の国民民主党(8議席)と国民民主党ネパール(4議席)の票は伸びず、
これで完全に王制廃止が決まりました。


暫定憲法によると、選挙結果の正式発表から3週間以内に議会を召集するとあるので、
最初の会議は5月2~3週目に行われるのでしょうか。

十年にも及ぶ武装闘争を続けてきたマオイストが政権を担うことになりますが、
個人的にいくつか注目していきたいポイントがあります。

○プラチャンダ書記長によると、連立政権を目指すということですが、
どんな国家像を描いているのか? 

○各政党間の閣僚ポストの配分は?

○大統領と首相の権限の分担は?

○国王の立場はどうなるのか? 退位に応じるか?


過去240年続いてきた王制が選挙という民主的な方法で幕を閉じることになりました。
この新生ネパールの発展が、新しい指導者の下で平和裡に進んでほしいと願ってます。

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ネパールで選挙実施。

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ネパールから帰国しました!
個人的には初ネパール滞在でしたが、文化も食事もとても豊かで人々も親切だし、
とても好きになりました。次はぜひ旅行で行ってみたいです。

日本人旅行客も多く、空港でも街中でもたくさん見かけました。
特に多いのが、おそらく団塊の世代頃かなと思われる年代層の方々。
リュックサックを背負い、トレッキングシューズをはいて、夫婦そろってトレッキングツアーに
参加していると見受けられる方々にたくさんお会いしました。

監視活動途中に出会うと、「おつかれさま。がんばってねーー」と応援の言葉もいただきました。
ありがとうございます。

、、、というわけで、4月10日に行われた制憲議会選挙も、
選挙結果がかなりの割合で判明し、
共産党毛沢東主義(マオイスト)が第一党の座を確実にしました。

今回の選挙ですが、ネパールで過去10年も続いた内戦を終結させた、
当時の主要7政党とマオイストによる包括和平協定に基づくものです。
去年実施される予定でしたが、二度延期され、今回も直前まで実施が危ぶまれていましたが、
10日に予定通り行われました。

議会は、選挙結果の正式発表を経て招集され、
約2年をかけて新しい憲法の制定に取り組む予定です。

選挙は小選挙区制と比例代表制とで行われました。
開票状況は、ネパール選挙管理委員会によると、
20日正午(日本時間)現在で、以下のとおりです。


○小選挙区(240議席)
マオイスト        118
ネパール・コングレス  36
共産党UML       32
マデシ人権フォーラム  28 

全体           234

○比例区(335議席)
マオイスト        約30%
ネパール・コングレス 約21%
共産党UML      約20%


----------------------------------

因みに写真は、投票日の翌々日に撮影。
マオイスト優勢がメディア等で報道されはじめ、
カトマンズ市内の集計会場付近でパレードに向かうマオイストの若者たちの様子です。

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ネパールから帰国しました。

今日ネパールから帰国しました。
長いような短いようなあっという間の約3週間。

どうやら現地に持っていったパソコンがウィルスに感染してしまったようで、
パソコンに保存しておいた写真他が開けないので、写真アップはまた後ほど。


・・というわけで10日にネパール制憲議会選挙の投票日を終えて、
開票・集計作業をしばらく監視した後、無事帰国しました。


最新の報道によると、小選挙区で第一党の勢いだった毛沢東主義派(マオイスト)が、
比例区でも首位の座を確実にしたとのこと。


ネパールにおいても歴史的な転換点に立ち会わせていただき、
とても貴重な機会となりました。


○選挙の模様は、以下の主なテレビニュース画像をご覧ください。

★NHK
○4月10日
http://www3.nhk.or.jp/news/k10013466251000.html#

★TBS
○4月10日
http://news.tbs.co.jp/20080410/newseye/tbs_newseye3825107.html
○4月11日
http://news.tbs.co.jp/20080411/newseye/tbs_newseye3825708.html


★Nepal News(地元国営テレビニュース)での日本選挙監視団関連
○4月13日
http://nnv.nepalnews.com.np/videoplay1.php?id=460
○4月11日
http://nnv.nepalnews.com.np/videoplay1.php?id=446
○4月9日
http://nnv.nepalnews.com.np/videoplay1.php?id=436

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ネパールでの選挙に向けて。

ネパール行きを間近に控え、昨日と今日は終日研修でした。 二日間缶づめ状態でかなり疲れたけど、かなり密度が濃く充実した時間でした。 二度の延期を経て、いよいよ4月10日がネパール制憲議会選挙の投票日。 公正で自由な選挙の実施に向けた取り組みを、しっかりと自分の目と足で確認してきたいと思います。 選挙監視活動は(NGOでの参加も含め)、カンボジア、アフガニスタン、東ティモールに続き、4カ国目の参加。 今の職場では、日本の一員として紛争終結国の国づくりと平和の定着に向けた活動に従事させて頂けるのはとても嬉しいこと。 しかも今回は、参加だけでなく事前の準備や調査等にも関わっており、なかなか得られない貴重な経験と勉強の機会を頂いています。 ぜひ将来の自分自身のキャリア構築にいかしていきたいと思っています。 ・・・ということで、今日はこれからゆっくりお風呂で疲れをとって、出発に向けてパッキングでも始めようと思います。

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国際開発ジャーナル誌掲載

以前取材を受けた記事が掲載され、
編集者の方が掲載誌をお送りくださいました。

これまではむしろ自分が取材したり広報する側でしたが、
自らが取材されるというのは数年ぶりだったので、
なかなか貴重な体験でした。
またとない機会をありがとうございました!

「国際開発ジャーナル」 (2008年3月1日発行)
もしよろしければぜひご覧ください。
http://www.idj.co.jp/books2007/magazine_new

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スピルバーグ監督が北京五輪顧問辞退

風邪もずいぶんよくなり、今日はすっかり夜更かしです。 でも明日はまた6時起き。さっさと寝よう。 今日、BBCと朝日・夕刊で見かけた記事「スピルバーグ監督 北京五輪顧問辞退」に目が留まりました。 辞退の理由はスーダン・ダルフール紛争への中国政府の対応に不満とのこと。 知人が北京五輪の担当記者をしていることから、 去年から、監督の決定がどうなるのか気になっていました。 スポーツの祭典が政治的な問題に影響を受けるというのは昔からよくあることだけど 個人的にあまり望ましいことだと思っていません。 スポーツマンシップというのは政治や宗教を超えた中立的なものだと思うから。 でも、ヒトラー時代のベルリン五輪や1980年代のモスクワ五輪など、 過去には五輪が政治色に包まれた時代も何度かありました。 スーダンといえば、年末に現地から一時帰国した知人(日本人)が、 現地における中国のプレゼンスの大きさを指摘していました。 政府と企業による資源外交が目覚ましそうです。 ・・・と、 おととしから国際平和協力に仕事で携わるようになってから、 紛争国の復興・再建にどっぷりつかる毎日を送るようになりました。 といってもまだまだ勉強不足の身。薄っぺらな自分を反省する毎日です。 早くピーマン状態の頭の中身をつめていきたいです。 この分野で自分が何ができるのか・・・。 まだまだ明確なビジョンは見えてこないけれど、 まずは目の前のことからしっかりと積み重ねていきたいと思っています。 ところで、もう日付が変わり世間はバレンタインデーですね。

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久しぶりにコメント。最近の動きアップデート。

2008年、早くも一ヶ月が過ぎました。
今年は昨年以上にアクティブに頑張ってます。
母親譲りの性格なのか、いつも何かやっていないと落ち着かない。
でもゆっくりしているのがあまり好きではないから、まあよしとしよう。

昨年同様、いろんな方との交流を深めるだけでなく、論文の発表や、講演会、メディア活動など、「形」に残る対外活動をいろいろやっていきたいと思ってます。

前回の日記からの新しいこと:

●外務省のシンポジウム「平和を築(つく)る-日本と国連」に行ってきました。

今年は年頭から福田総理や高村大臣が「平和協力国家」を目指すというメッセージを出しています。日本は国連平和構築委員会の議長国も務めているし、この分野でもっと存在感を出してリードしていかなくてはと思っています。自分自身も平和構築に仕事で関わり始めてから約一年半。今年中にはフィールドに出たいし、もっと勉強してスキルアップも図っていきたいです。

外務省シンポジウム概要

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/peace_b/sy_080124.html

翌日は、シンポジウムのパネラーを務めたカプラン・オックスフォード大教授によるレクチャーに参加。国連PKOの撤退時期を判断するために「平和の達成状況」を測る指標を創り出す必要性があるとのこと。それから、PKOから開発に移る時期には今後、地域機構が果たす役割が大きいとのコメントもありました。

レクチャーにはロンドン時代の同窓生も参加。約5年ぶりの偶然の再会でした。彼女はロンドンで博士号を取って帰国後、今年から東京で研究職で活躍中。これからお互いに切磋琢磨できればいいなと思ってます。

●「平和構築フォーラム」ニュースレターを発行。

一年前から「平和構築フォーラム」事務局の運営を手伝ってます。平和構築にかかわる政策や活動についての情報共有やネットワークの場としての有志による集まりです。
http://www.peacebuilding.jp/

1月20日にはニュースレター第26号を発行。
おととい30日にもニュースレター第27号を発行しました。
ご興味ある方は、ぜひメルマガご登録ください。

http://www.peacebuilding.jp/newsletter.htm

●「国連フォーラム」のインタビュー実施。

国連に関わる知識の共有や情報交換の場として「国連フォーラム」というネットワークがあります。ずいぶん前からメーリングリストには登録していたのですが、昨年末のちょっとしたご縁がきっかけで「国連職員NOW!」という現役国連職員を紹介するコーナーのインタビュアーとしてお手伝いさせていただくことになりました。

国連に関わる世界に入ってからまだ一年半ですが、この「国連職員NOW!」を読むといろんなバックグランドの方が国連の世界で活躍されていることが分かり、とても興味深いです。みんな熱い心の持ち主ばかり。自分ももっともっとがんばらなくてはならないな、、と気を引き締めています。

国連フォーラム

http://www.unforum.org/unstaff/top.html

●「国際開発ジャーナル」からの取材

…を受けました。今度は「取材する側」でなく「取材される側」。国際開発ジャーナルという国際協力分野の業界誌があります。年明けに編集長とお話する機会があったのですが、とても盛り上がり、翌週に早速取材のご依頼をいただきました。

これまで仕事でメディア対応はさんざんやってきたはずなのに、自分自身が取材を受ける側となるとなんだか気恥ずかしい。しかも取材を受けるのは何年ぶりだろう。今回の取材原稿はおそらく来月発行の誌面に掲載されるのでしょう。
原稿の校閲段階で読ませていただきましたが、う~ん、やっぱり自分のことを読むのはあまりいい気分ではないです。

でも今後広報の仕事をやる上で役立つし、他者が自分のことをどう見ているかを知るよい機会となりました。

●衆議院・予算委員会(1月29日)

職場に置かれているテレビでは毎日国会中継を映しています。
今更ながら知ったのですが「衆議院インターネット審議中継」というのがあるのですね。インターネットさえあれば、いつでも誰でも審議を見ることができるらしく便利です。

29日の予算委員会では、公明党・赤松議員と、外務大臣、防衛大臣とが、PKOセンターについて発言してました。日本がアフリカのPKOセンターに補正予算で支援する必要性と、駒門にある自衛隊の国際教育活動隊の位置づけについてなど。

詳しい議論はこちらから。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.cfm

最近、平和構築やPKO関連分野がかなり国会で取り上げられるようになった印象があります。でもどれだけお茶の間に届いているのだろうとまだまだ疑問を感じます。

先日の外務省のシンポジウムでは、朝日新聞論説委員の脇阪さんが「平和構築や国際平和協力はまだ業界だけの内輪の世界。一般の方にはほとんど知られていない」と指摘されていました。
個人的に一ヶ月前くらいに時事通信の記者さんと同じようなことを話していたので、改めてもっとこの分野の認知度を高める必要性があるなと感じました。

今年はアフリカ開発会議(TICAD)やG8サミットもあり、外交の世界で日本が注目を浴びる年。
自分自身まだまだ勉強が足りないことを反省しつつ、外交の世界でもっと貢献できるように一歩ずつ頑張っていきたいです。

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宇都宮で講演会(難民問題と国際平和協力、2月10日)

2月10日(日)、地元の宇都宮で講演をすることになりました。
栃木県とNPOとちぎボランティアネットワークが主催の「栃木ボランティア・市民活動フォーラム2008&NPO見本市」というイベント。
http://www.pref.tochigi.jp/life/npo/npo/messekaisai.html
プログラムはこちら。
http://www.pref.tochigi.jp/life/npo/npo/resources/messepuroguramu.pdf

主に高校生以上を対象にした8つの分科会のうち、難民問題と国際平和協力をテーマとした講義の依頼をいただきました。

ボランティアとかNPOが全体テーマになってますが、主に難民問題について、ゲームやビデオ鑑賞を通して分かりやすくお話できればと思ってます。関係する国連機関の活動や、日本政府による支援、あと、自分自身が過去に参加したNGOでの活動とかも含めて、お話させていただく予定です。

昨年5月の出身中学校の創立記念日での講演や、夏の宇都宮大学国際学部との連携イベント「難民映画上映会」をはじめ、微力ながら地元に還元できるのは嬉しいこと。

今年は、出身大学との連携や、論文発表、メディア上での発表など、幅広くアウトプットしていきたいなと思ってます。

2月10日(日)、もしご関心あればぜひご参加下さい! 

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新年の仕事始めに。

Afghanistan_election_photo_5   今日(7日)から業務開始。
今年もがんばろう!

正月休みに何かの本で読んだ言葉。
「国際協力の世界はくせになる」と。

私が国際平和協力の世界と初めて接点を持ったのは大学3年の春。
アジア、アフリカ、中東の国々を訪れる機会があった。
現場近くに居合わせたスリランカ・コロンボでの自爆テロ事件。民間人100人近くが犠牲となった。その夜は、行動を共にしていたスリランカ出身の仲間がひたすら謝る姿が印象的だった。
(写真上:アフガン難民キャンプにて)

そして、約6年前に訪れたコソボ。
『忘れられたユーゴ難民』と題した記事を読み、どうしても旧ユーゴの現場を自分の目で見てみたくなった。
今考えてみると、単なるミーハーなだけ。
大学院留学中の悶々とした日々で、何か「生」を感じたかったのかもしれない。
現地で難民支援活動をするNGOを見つけ出し、即日、航空券を手配した。

でも、現地では自分の無力さを感じずにはいられなかった。Kosovo_3
そして、自分の傲慢さも。

「私たちのことを忘れないでいてくれてありがとう」

一人の難民の女性が声をかけてくれた。
それまでずっとモヤモヤしていた気分が吹っ飛んだ。
難民の方々がイキイキと暮らしているのを見て、自分の存在がちっぽけに思えた。
(写真上・下:コソボにて)

おととしから国連の仕事に関わらせていただくご縁をいただいた。
ずっと興味を持ちながらも、なかなか仕事として入り込むことができないでいた。
大学院を卒業し、民間の企業に勤めてからちょうど2年。
仕事がとても面白かっただけに未練が全くなかったわけではない。
でも、終身雇用の職場から短期契約が当たり前のような世界に飛び込むことに迷いはなかった。

30過ぎての本格的なスタートは決して早くはない。Kosovo_2_3
でも、周りの仲間、諸先輩方に支えられて、何とか動き始めている気持ちがする。
ワーク&ライフバランス、今後の生活拠点や結婚や子育てに心配がないわけではない。
(まさに国際平和協力の仕事に携わる者にとっては、
男女問わずホットなトピックだったりするわけだが。)

でも、冒頭の「国際協力の世界はクセになる」は私にも当てはまるわけで、
どうしても離れることができなかった。
これからも一生関わっていくのだろうなと思っている。

何はともあれ、将来のことで不安になりそうなときに思い出すのは、
コソボの女性の言葉だったり、コロンボのテロ現場の焼け焦げたビルだったりする。

ときに、私が傲慢になったり道に迷いかけていたら、
どうか後ろから小突いてやってください。

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日本の価値観を発信できる人材の育成を。

今日は(というか、今日も)ある開発高等教育機関にて研修を受けてきた。最近ほぼ毎日。研修も終盤戦に入り、あともう少し。月末まで続く予定。

今日の講師はユニセフ駐日事務所副代表の平林氏。元心臓外科医でアフリカのフィールドを中心にWHOやユニセフで活躍されてきた。

講義内での彼の言葉に共感。

国連の世界で日本の存在感がないといわれるけれど、必要なのは、日本人職員の“数”を増やすことよりも、“日本の価値観を発信できる人材”を育て、増やすことだという。緒方貞子さんがまさにそういう人物だった。

ポスト緒方を担う人材がまだまだ日本にはいないのではないか、と彼のひとこと。

彼が人事担当だったら採用したいのは、単に英語試験の点数がよい帰国子女などの日本人ではなく、日本の価値観を持っている人。語学ももちろん大切だが、発信できる人材であるということをより重視すべきだ、と。若いうちから発信できる人材が年齢と経験をへて重要ポストに就く頃、彼または彼女が国連の現場で「ポスト緒方」を担っているのではないか。

たしかに国連を目指す人の数は増えているし、実際に開発や平和構築分野で働く日本人も前よりは増えてきているのかもしれない。しかし、一端国連の世界に入ってしまった後、日本政府や日本の社会と接点を持ちつづける人がどれだけいるだろうか。けっこう、日本と距離をおいてしまう人も少なくない。

ふと自分を振り返ってみると、日本の価値観を備え、発信力を持っているだろうか。日本の価値観、発信力、語学。すべて強化していかなくてはならないな、、、と改めて強く感じた一日だった。

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