カテゴリー「映画・テレビ」の記事

家族との時間

東京に戻る一日前のこどもの日。

少し早めの自分の誕生日と母の日をかねて、
家族5人でお祝いをしました。

こんなの小学校以来?というくらい、
ロウソク付きのホールケーキを母親が買ってきてくれました。

母の日お祝いには、母親がほしいと前から言っている、
Wiiを買ってあげることになりました。


私以外はみんな宇都宮に住んでいますが、
成人してからはけっこうみんな時間帯がばらばらで、
全員が顔をあわせることは少ないのです。
でも、久しぶりに家族全員そろって、
なんてことないような雑談をするのも時にはいいなーーと思いました。

連休はお墓参りにもいったし、なんとなく気分も晴れやかです。

家族って、空気のようなもので、普段はあまり意識しないけど、
必ずいつもそばにいてくれるし、どんなときでも応援してくれる。

近くにいるとその価値を忘れてしまいがちだけど、
何かあると存在の大きさを感じたりする。
母親なんて自分のことよりもまずは子どものことを優先してしまう。
父親はおとなしくてあまり話さないけど、
落ち着いていて、いざというときには精神的に頼りになる存在。


すごく大切な存在だし、大切にしていきたいと思ってます。

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国家と個人 ~裁判員制度、もうすぐ開始

フジテレビで映画「それでもボクはやってない」を見た。
http://www.soreboku.jp/index.html (公式サイト)
第81回キネマ旬報ベスト・テンの第1位にも選ばれている。

○ストーリー

身に覚えのない痴漢容疑で現行犯逮捕されたフリーター男性が、警察や検察の取調べでも何もやっていないと訴え続けるが聞き入れてもらえない。原告は15歳の女子中学生。
被告は十分な証拠も集まらないままついに起訴されて裁判で争うことになったが、最終的には有罪に。

○痴漢犯罪の高い有罪率

近年の被害者保護を重視する流れなのか、被告をつかまえたときの駅員や警察、検察、そして裁判官までもが「有罪ありき」で具体的な証拠や現場検証もないままに話が進んでいく。

痴漢容疑の裁判は、有罪がなんと99.9%!!
たとえ無実であっても、判決が無罪になる可能性は限りなく低い。

○公権力vs個人

映画で最も印象的だったのは、公権力(国家)対個人の構図。
検察側が集めてきた情報と被告弁護側が集めた情報を元に、公正に判決を下すのが裁判官。

でも、検察や検察が集めた証拠を元に組み立てられた主張を裁判官が覆すことは、裁判官にとっては、つまり、公権力に反することを意味する。
裁判官も自分の身を考えると、公権力にはあまり逆らわない無難な判決にしておいたほうがよい。そんな風潮がうかがえた。
そして、裁判官や検察、警察も国家権力の一部なんだと再認識した。

判決文を聞きながら被告が頭の中でつぶやく言葉が印象的。
「裁判官なら自分が何もやっていないことを分かってくれると思っていた」

「真実は神のみぞ知るという言葉があるけど、今、真実は神のほかにボクも知っている。自分はやっていない。そして、今この裁判官や過ちを犯したことも真実だ」

「裁判官は、真実を判断するのではなく、集めた証拠で被告を有罪か無罪にするだけ」

民主主義の世の中だけど、個人が個人として尊重される社会は実現しているのだろうか。
そうした国家が個人を守りきれないとき、個人の尊厳をどう守っていけるのか。
国家と個人は相対立するものではないはずだ。

来年5月から裁判員制度が始まる予定だ。
もし自分が裁判員に選ばれたとき、果たして自分はどの程度公正な裁判ができるのだろうか。
裁判や法律の知識の有無以上に、モラルといった自分の人間性を問われる制度なのかもしれない。

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