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2008年9月

インディな生きかた

Higannbana
広島で買ったもう一冊の本―。

『勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド

勝間さんが名づけた「インディ」な女性とは・・・

精神的にも、経済的にも周りに依存しない、自立した生
き方をする女性のこと。


条件その1 年収600万円以上を稼げる
条件その2 自慢できるパートナーがいること
条件その3 年をとるほど、すてきになっていくこと


うん。周りに依存しない、自立した生き方ってステキな
響きですね


無理なく自分の仕事と生活のバランスをとりながら、周
りの人に頼りすぎることなく、
自由に生きていくことができて、しかもきちんと生活費
を稼ぐことができる女性。

たぶん一昔前だと、「この女、こわい」と言われてしまい
そうな感じの女性でしょうか。


自分の幸せは、(もちろん一人では生きていけないし、い
ろんな方々の支えがあってからこそ成り立つものなのだ
けど)、基本的に自分がしっかりしていてこそ実現するも
のだと思う。

自分の生き方や考え、行動は、周りの状況や環境を見て、
自分で判断したいし、決めていきたい。

そう、主体的に生きるということ。

著書の中で勝間さんが提唱する「第三の道であるインデ
ィな女性」。
この第三というのは、これまで比較的メディアに登場し
てきた二種類の活躍する女性像とはまったく異なります。


これまでのカテゴリーは、
1 男勝り、バリキャリタイプ

→たぶん、肩パットを入れたかっちりスーツを着こなし、
男性を同じく女性もがんばらないと!とがんばってきた
世代。 
私の母親もこの世代なのかもしれないです。

2 女性であることをウリにしている女性

○○美人社長 とか 美人○○ とか

→これまで男性的なイメージのあったビジネスを女性が
やっているんだぞ、ということで、
女性であることをウリにして会社や個人の認知度をアッ
プさせる作戦か?!

この作戦は個人的にはあまり好きではありません・・・

そしてこれら二つのいずれでもないのが、
第三の道  インディな女性

→精神的にも、経済的にも周りに依存しない、自立した
生き方をする女性

インディという命名の響きはさておき、男性と同化する
わけでも女性であることをウリにするわけでもないとい
うなんだか自然体でいい感じ・・・・
そんな気がしませんか?!


そのインディになるには、
じょうぶな心とを作ること。つまり、

1 自分の想いで環境を作る

自分が思っていることが現実になる!


2 周りと調和する

笑顔を大切に!
アサーティブになろう!(攻撃的になるのとは別。自分
も相手も大切にするということ)


3 すべてをゼロイチで考えない

思わぬことを偶然に発見する力、幸せを招く力を大切に
しよう


4 がんばりすぎない

「最近がんばりすぎているかな~」と思ったら、がんば
らないとできない仕組みに疑問を持ってみよう。
その仕組みをより効率的なものに見直してみよう。


うん。なんとなくやればできそうな気がするかも。


そして究極的にはインディとは、

「いい男と恋をしながら自由に生きられる権利」のこと。

う~ん、これは一番難しいのでは?!

いったいいい男とどうやって付き合うのか?

勝間流にいえば
「答え― いい女になること」 (・∀・)イイ!


なんてシンプルな!
いい男と出会えないのは、自分がいい女じゃないからな
のね・・・(≧∇≦)


そして


インディの特徴は「自然体であること」


いい仕事と、いい男と、いい自分


なるほど! この三つがそろえば鬼に金棒。

自分なりのステキなインディを、一緒に目指してみまし
ょう 

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脳の運動不足

先週木曜日、広島にて。

東京に帰る新幹線の中で読もうと二冊の本を買ってみました。

その一つが茂木健一郎氏の『脳を活かす仕事術』。


本屋で全ページ立ち読みしてしまいながらも (→ごめんなさい、本屋さん! でも買ったからいいよね・・・)
あえて購入したのは内容にググッとくるものがあったから。


「わかっちゃいるけど、できない時、どうすればよいのか」が分かってきた、と。

あの茂木さんでさえ、学生の時には「分かっているのに、実現できない」
インプットしたのにどうやってアウトプットすればよいのか分からない。

そんなことに悩んでいただなんて―。

まさしく自分も、表現したい何かがあるのに言葉にできないことや、
わかっているのにうまく再現できないケースが何度もあるので、
茂木さんの分析や体験談をぜひ参考にしたいなと手にとりました。


茂木さんによると、
人間が情報を受け取ったときに理解や認知することができても、
それを自分の言葉として出力することができないのは、
情報を「入力」する“感覚系”が、「出力」する“運動系”よりも発達しているから。


つまり、脳の運動不足ということでしょうか・・・!?


ではどうすれば、表現する力がつくの??

これまたスポーツと同じ。

情報を整理・分析して表現するには、何度も小さな出力を繰り返すしかないそうです。
アウトプットの回路を鍛えること。


たとえ出力したとしても、誰もが入力と出力がまったく同じわけにはいかないので、
完璧な出力にこだわらず、何度もくり返し出してみて、自分の目で評価してみることで、
そのギャップが小さくなってくるそうです。

なるほど。
このブログや大学の論文や新聞記事やいろいろ文章を書くたびに思うのが、
どうして自分は文章が書けないのだろう・・ということ。

きみの文章は読みにくいとか、もっとシンプルにしたら、とか
大学院の修論を書いているや新聞社で働いていたとき、何度もご指摘を受けたことがありました。


どうしたら考えがまとまるのかな・・

どうしたらうまい文章が書けるのかな・・・

そんなことを考えるたびに、「上手な文章を書かなくては」という無言のプレッシャーを
自分自身に対してかけていたのかもしれません。


茂木さんの著書を読んで、
まずは「ひと通り書いてみよう」
まずは「何でもいいから書いてみよう」

そう思えるようになったのは良かったかもしれません。


茂木さんの本に出合えたことに感謝。


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拝啓 藤原ことり様へ

親友のひとり、藤原ことりさん(ペンネーム)のブログをご紹介したいと思います。

「ko-trip: produced by 藤原ことり」
http://ko-trip.petit.cc/


彼女は高校時代の同級生。
将来の夢や興味の範囲が近かったこともあり、当時は仲良しグループ(?)が一緒でした。


でも、3年生の時、ことりはアラスカへと飛び立っていきました。

なぜかって?


それはきっと、「ことり」だからでしょう。。。。

彼女のホームページの自己紹介欄にも

特技:「飛んでいくこと」ってあるじゃないですかヽ(´▽`)/

彼女とは、大学時代以来しばらく連絡をとっていなくて、
去年、ミクシーを通じて「再会」しました。
何度かメールで連絡をとった後、恵比寿で夕食を共に。


ことりはすごく大人になっていて、
発するひとつひとつの言葉がすごく丁寧で重みがあって、
高校時代から聡明なイメージだったのだけど、
ますますステキでチャーミングな女性になっていて、
自分の周りにこんな魅力的な女性がいるなんて・・・ということに改めて嬉しく思いました。


最近、彼女は東京から愛知に拠点を移したとのこと。

お互い、いろいろ悩んで、不安に思って、迷って、
幸せがあって、喜んで、楽しんで、、、、。

しばらくメールでしかやり取りをしていないけど、
彼女とは高校時代のとき以上に、これから深いお付き合いになるんだろうな、、って思っています。


一緒に、前を向いて、自然体で歩いていこう、ね

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生かされているということ

久々のブログアップです。

広島に来てから約3週間。そろそろ疲れたーー!と思いながらも、
なんとか毎日楽しんでやってます ヽ(´▽`)/
同期生もとってもフレンドリーな人ばかりで、とっても居心地がよいです。

久しぶりにブログアップしたのは、
どうしてもお知らせしたいことがあったから。

高校時代の同級生から、高校時代を一緒に過ごしたクラスメートの訃報の知らせを聞きました。

彼女が卵巣がんの闘病中に書き綴っていたというブログを
紹介していただきました。
http://ameblo.jp/rexico-toraco/

そして、そのブログは今月、
彼女が亡くなって一年が経ったのを機に 書籍として出版されたそうです。

『Singleがん患者の幸せ探しの旅 My Life Without Me, With You』(長崎出版・野澤玲子著)
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32125366


れいちゃんとは高校1年の時、クラスが一緒でした。

ツヤのある長い黒髪が印象的な綺麗な女性。
身長も高めで足もすらりと長く、イメージは森高千里似。
当時流行っていたミニスカートをさらりと着こなして、
美人で活発で性格もよくてかっこよくて。
でも、我が高校のトレードマークのジャージもしっかり着こなしていたし。
れいちゃん=緑のジャージ&前髪カーラーのイメージがあります。


高校を卒業してから、れいちゃんが大学卒業後に税理士として活躍されていたことや、
癌と戦っていたことも知らず、
そして、去年、お亡くなりになったことも知らず。
今日、友達から訃報の知らせを聞き、あまりにも突然のことでびっくりしました。


今回の訃報の連絡をくれた友達も最近「命」について考える機会が多かったと
言っていたのですが、私の周りでも同じようなことを考える機会が多々ありました。

実はつい最近、別の同窓生の最愛の家族が交通事故で亡くなったという知らせを知り、
先月は、大学時代の部活動でお世話になった恩師の
訃報の知らせを受けたばかりでした。

「生かされている」


目に見えない何かの力が自分を生かして下さっているって、
そんな風に思いました。

今から6、7年前、自分が今よりももっと無知でわがままだった頃。
尊敬する人生の大先輩と「生」について何度もマジメに議論したことがありました。


「お前は生かされているんだよ」と。

「『生かされている』って??『生きている』じゃなくて?」


そんな会話を何度も交わしました。

当時は、「生かされている」という言葉の意味がまったくピンと来ませんでした。 

自分は無宗教だし、スピリチュアルなこともほとんど気に留めないほうなのだけど、
6年前に祖父が旅立ち、今年5月に祖母が立ち、
そして、恩師の訃報と、30代の若い二人の旅立ちの知らせを受け、
「自分がこの世に『生かされている』んだ」ということを自然に感じるようになりました。

おととい15日は敬老の日でした。
例年であれば、祖母が好きなユリの花を宅配便で届けるはずでした。
いつもであれば、お花が届くと、きまってすぐに携帯にお礼の電話が
かかってくるはずでした。

でも、今年はその大好きな祖母がもういなくて、
お花をどこに送ればよいのかな、、って。

なので今年は、その祖母と祖父を見守る伯母に宛てて
ユリの花を送りました。
きっと新しい世界で見守っていてくれているのかなと思いながら。

マジメで、堅くて、重い話題かもしれないけど、
2008年は、自分が精神的に成長する貴重な機会を与えて頂いている
一年なのかもしれないです。


れいちゃんのご冥福を祈りつつ、
「生かされている」ということについて
真剣に考える機会を与えていただいたことに感謝しています。


まだまだ未熟だし、大人になりきっていないところもたくさんあるし、
これから先もまったく見えてこないけれど、
おこがましいけれど、れいちゃんの分もがんばりたいなと思いました。


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